母親の期限。

この写真、娘が編んでくれたハンギングにグリーンを飾っています。

先日、その娘が二十歳のお誕生日を迎えました。

長男は既に社会人で、昨年ブログにも書きましたが、一人暮らしをするというので、気学な生活者(笑)としてはもちろん、吉方位を取って一人暮らし中です。

ベランダ

娘は今、都内の音大生なのですが、ドイツの音大に受かって、これもまた来年から世界規模の距離でドイツへと吉方位を取ることになりました。

方位取りの効果を経験してきた私たちは「吉方位なしでは動かない。」くらいの意気込みです(笑)。

・・・となると、その先、母親の私は?

娘がドイツで生活し、私も日本とドイツを行ったり来たりして楽しもう!と思っているのだけれど、内心は結構寂しさを覚え、息子の時と同様、母親としてあとどのくらいやれることがあるのだろう?とか、考えてしまうのです。まるで、母業の有効期限が近付いてきたかのように。

そして二十歳を迎えた娘。

「娘の二十歳のお誕生日」というと、思い出すことがあるのです。それは・・・。

それは娘が幼稚園の頃でした。

同級生の女の子のお母さんのこと。その方はその幼稚園のそばで美容院を営んでいて、いつも娘さんの手を引き幼稚園まで送り迎えをしていました。とても明るいお母さん、という印象だった彼女を骨の癌が襲ったのでした。

あっという間に彼女の命の時は終わっていまいました。

その後、残された娘さんは、おばあちゃんに手を引かれ登園する姿が見られました。

当時、幼稚園児のママだった私は、同じ母親として、こんな歳の娘をおいて死んでいかなければならなかった彼女の気持ちを想像しただけで、涙がこぼれて仕方なかった。

葬儀が終わってから知ったことですが、

その彼女は死を迎える日まで、自分が旅立ってから、娘さんのこれから毎年来るお誕生日によせてお手紙を書いていったそうです。

5歳のお誕生日、6歳のお誕生日。そして7歳のお誕生日と、成長していく娘へ宛てたお手紙。その成長を母として一緒に歩いていけなかった悲しみ、すぐ隣で見守っていけなかった悲しみを抑えて、涙をこらえて、母として娘の成長を想像して語り残したのでしょう。

入学する小学校での6年間、思春期を迎える中学の3年間、どんな高校生活を送るのか、部活動で頑張る姿、誰かに恋をしたり、たくさんの壁にぶつかって悩み成長する姿。それを想い、娘さんの二十歳のお誕生日に宛てたお手紙まで、書いて逝ったそうです。

 

今月、私の娘が二十歳のお誕生日を迎えた時、

その娘さんも今年二十歳を迎え、お母さんが書いた最後の一通を開く時を迎えたのだな、と思いました。

毎年、一通ずつ開封し、その手紙に込められたお母さんの想いをその歳なりに受け止めて、一年、一年と成長し、きっと素敵な女性となっていることでしょう。

 

そして、私は自分を振り返り、子供たち二人が生まれてきてくれた瞬間から、

いろいろあったけど、母として精一杯、精一杯、一日、一日を一緒に過ごしてこれた自分を本当に幸せだと改めて実感するのです。母親として普通の毎日、これ以上の幸せはないなあ、と思います。

数えきれない子供たちの成長の記録、そして記憶を胸いっぱいに、母親というものはこの変わらない愛情をどう抱えていくのでしょう。