気学との出逢い(幼少期編)

retro photo camera and vintage telephone placed on wooden bedside table   mentor~村山先生と。

私は「気学」という名も知らない子供時代、気学と出逢っていました。

あれは、難しいことはわからない子供ながら、「これは本当なんだ(ただの占いじゃないんだ)。」と深く心に刻まれた出来事でした。

あれはお正月でした。

墨田区で育った私は、昭和の香るお正月、毎年、家族で柴又帝釈天に初詣に行っていました。その年も父の運転で近くの駐車場に車を停めて、父と母と、8歳上の姉と5歳上の兄とで、賑やかな参道を歩きました。新年のご挨拶をした後に、お団子を食べたり、飴屋さんでトントントンと飴を切るのを眺めたりするのが新年の楽しい行事のようなものでした。この時まで、家族は全員健康、高度経済成長期を経てきた父の事業も好調・・・幸せを絵に描いたような日々でした。

気学を知った今思えば、父は生真面目で優しい四緑そのもの、母は明るく天真爛漫な五黄そのものの人でした。さらに思いを馳せれば、そんな両親のお陰で、幸せな子供時代を過ごさせてもらったなあと思います。

その日、初詣の帰りの道、なぜか忘れましたが、父と私だけ先に車に戻って、みんなが来るのを車中で待っていました。父は参道の屋台で売られていたその年の「運勢暦」(九星気学)を購入して、それを読みながら待っていました。その時、父がつぶやいていた言葉を忘れません。「ああ、今年は悪い年なんだなあ。体に注意しないといけない。無理すると身体が危ないと書いてある・・・。」と、子供の私に話しかけるともなく、いつもの父らしくなく不安気につぶやいていました。

その年の春、仕事、仕事で無理をして生きてきた父は、日中は会社での仕事、帰宅後は深夜まで7階建ての社屋の設計をしていて・・・脳血栓で倒れ、救急車で運ばれました。父は健康を失い、長年努力を重ねて積み上げてきた、父の経営していた会社も全て失いました。父のつぶやいた言葉を思い出しました。「無理をすると・・・」。あの時、私の心に「気学」が深く刻まれたと思います。

そして数十年後、村山先生と出逢うのです。それも衝撃的な出会いでした。

あの時、気学を知っていたら・・・と思います。とは言え、幼少の頃の出来事で、あの時の私は理解すら出来なかったことですが。しかし、そこに「何か」不思議な法則が働いているのを感じました。

学ぶとわかるのです。その法則と、生き方が。皆さんにも、この貴重な智慧「気学」をお伝えしていきたいと思っています。

気学との出逢い(青年期編)

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コメント

  1. […] 2002年、村山幸徳先生に出会った時、もともとこの世界に興味があった私は(気学との出逢い:幼少期編)、それこそ、運命を感じました。 […]

  2. […] 邪は万病のもと。父が無理をして働いて、風邪をこじらせて、大病へと繋がった経験から、風邪の怖さを身に染みて知ったので・・・。  詳しくはこちら⇒気学との出逢い(幼少期編) […]

  3. […] 後、そろばんの先生、着物の着付けの先生を経て、父が脳血栓で倒れてからは(気学との出逢い~幼少期編)、父の経営する会社が倒産しても、仕事を3種類もこなし母が全てを乗り切 […]