世界は自分自身の投影物である

  気学
ペトリ教会前のベンチ

ドイツ・ロストックのペトリ教会前の広場。ここは、終戦までは人々の憩いの広場でした。第二次世界大戦で、日本と同じように、攻撃を受けて破壊された街です。今は活気ある広場は少し離れた「ノイアーマルクト」へ移り、静けさを取り戻したこの広場。たくさんの歴史を抱え静かに存在するここのベンチ。ご老人が座ってぼーっとしている姿をよく見かけますが、その度に遠い過去を思っているのだろうかと思わずにはいられませんでした。できたら、それは悲惨な過去でも、今は心を温めてくれるものになっていてほしいと願います。

ところで、気学では「吉方を取ると、どんなどん底状態の星回りも乗り切れるようになる。」といいます。どん底ってどういう状態?人によって捉え方が違うと思いますが、そのどん底を、必死で、暗く、最悪に捉えた心で吉方を取るのではなく、「やってやるぞ」と力強く前向きな心持ちで吉方を取っていきたいですね。

ヨガでは「外界のすべてが自分の思考(心理態度)に基づいている」ということが基本の気づきです。「世界はすべて自分の投影物だ」と考えます。ヨガでは「心は、外界の変化にこだわらない」のです。

例えば、「赤ちゃんが泣いてばかりで眠れない。」という現象も、イライラと自分の苛立ちに流されていくのではなく、「このことで私は思うように眠れないけれど、この子が生まれてくれたからこその状況だ」と感謝と捉えれば、イライラすることもなくなります。苛立ちに流されるも、生まれてくれたことへの感謝と取るも、どちらも現象は、「赤ちゃんが泣いてばかりで眠れない。」なのです。

例えば、私の母がアルツハイマーですが、それも「なぜ母はこんな厄介な病気になってしまったんだろう?」と悩みにとれば、それは数えきれないほどの深く苦しい悩みを生む病気です。しかし、「以前は明るく、人付き合いが多く、仕事だ旅行だと日本所狭しと飛び回っていた母が、年老いて交友関係のあった人たちがだんだんと亡くなっていく中、それを認識できる母の状況だったら、さぞ母はさみしい思いをしただろう」と私は本当に思っているので、「年老いては何かしら病気になるもの。母にはほかの病気でなくてアルツハイマーでよかった」と捉えています。これも、どちらに捉えようとも、現象は「私の母はアルツハイマーだ」ということです。

私たちは、他人から「自分を大切にされていない」と思考する時、自分がとても不幸に感じるそうです。でもそう思考するその現象は、率直に何だろうと真っ直ぐ見つめてみることが大切だなあと思うのです。

サンスクリット語では、「人は心なり」。素敵な言葉ですね。

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