そちら側の目、その奥。

秋の浅い紅葉を背に、森林セラピーを受けながら、あかしあの丘をゆくと「ふくろうの杜」があります。

思っていたより、近距離で観ることができるふくろうや、みみずくに、ちょっと興奮ぎみの私たち。

後でゆっくり写真を眺めると、ちょっと笑ってみえるその顔がとても可愛らしい。

しかし、その風貌はなんとも落ち着いています。ゆっくりとただ、こちらを見てはいるものの、その動作は、視線も呼吸も、何か特別。夜目が利くふくろう類は、目が人の100倍の感度、首も270度も回るそうですね。

もしかしたら、悟りを開いているのでは?と本気で思ってしまいました(笑)。

秋の紅葉の中、ふくろうたちとの接近に興奮気味にシャッターを切る人間を、

じーっと見ている、その彼ら側の目からは、それはなんとも滑稽に映るのでしょう。そして、きっと、その杜の中の彼らには全く違う時間が流れているのでしょう。

そうそう、先日、コメンテーターの古市憲寿さんがおっしゃっていました。

「嫌な人、苦手な人とどう接するか?」の質問に、

「サンプル①、と思って見る。」だそうです。

別の苦手な人が来ても、「サンプル②が来た。」と思って見るだけだそう(笑)。

古市さんは個性的な表現をされるので賛否両論あると思いますが(笑)。

私はこう思いました。

その人に悩まされたり、どうこう影響を受けるのではなく、

心を無にして、一歩置いてその表現や状況を観察する。

そんな風にゆっくりと、視点を自分の心の目にセッティングできたら、心穏やかに過ごせます。

ふくろうや、みみずくも、そんな風に穏やかに私たちを眺めているのかもしれないですね。