認知症、五黄土星の母

私の母が認知症アルツハイマーと判って、もう6年位になります。

その時、アルツハイマーと聞いて、頭の中が真っ白になったのを覚えています。なんとも、憂鬱な病名。これからの未来を照らしていた明かりが、消えてしまったような、暗闇を歩いていかなければいけない日が来るのか、という重い不安感に襲われました。

あれから6年、今まで出来ていたことが、ひとつ、またひとつと、出来なくなる母を見ていると、誰にも用意されている「人生」というものを思い知らされます。

しかし、母はもともと、五黄土星の典型的な明るい性格なんです。それも母は5ー③です。村山幸徳先生がおっしゃっていた「五黄土星の中でも5ー③だけは愛想がとてもよく可愛らしい星。」、その通りでした。

若い時は・・・その当時にしては珍しく、高卒でN証券に入社、その華やかな証券会社での日々が楽し過ぎ、寿退社をしてからも、「退職したくなかったわ~(笑)。」とよく言っていました。

その後、そろばんの先生、着物の着付けの先生を経て、父が脳血栓で倒れてからは(気学との出逢い~幼少期編)、父の経営する会社が倒産しても、仕事を3種類もこなし母が全てを乗り切ってくれたのです。

明るい母からはその過酷な日々を子供時代の記憶に印象付けられることなく、私たち子供たち3人は笑顔で育てられました。

母は何でも笑顔と冗談で場を明るくするので、N証券の長く続いた同窓会を始め、とにかくパーティーと言えば、その明るさと社交性で司会を頼まれていました。とにかく社交的で公私ともに飛び回っていて、家にはあまりいませんでした・・・(笑)。

そんな母がアルツハイマーになり、人の識別が出来なくなってしまったので、あんなに社交的だった人が、人付き合いが出来なくなりました。それが一番、母には気の毒に思えます。

でも、五黄土星、とにかく明るい、前向きさは、今も健在なのです。

今は、電車のSuicaの使い方もわからない、家の鍵の開け閉めも出来ない、電話も使えない、お箸やスプーンも・・・色々わからなくなってしまっても、

自分が出来ないことを嘆いたりするより、自分が出来ないことを私たちがするのをみて「あなたはそんなことが出来るのね!すごいわね!」といつもめちゃめちゃ褒めてくれます。

ちょっとしたことで褒めて育ててくれた、私たちの子供時代と変わらず、とにかく褒めてくれるのです。「何でもわかるのね、何でも出来てすごいわ!」って。

母の通院で病院に連れていく時、車の運転をしている私を見ても、「あなたみたいに女性で運転出来る人はそうはいないわ~」と(笑)。

褒め倒しです。

まわりから見ると、かなり滑稽でしょうが、介護させてもらっている私たちは救われているのです。

通りがかった人のことも、褒めます。「素敵なお洋服ね、素敵な方ね。」と。

ファミレスのような気楽なところへ食事に行っても、「私は幸せだわ~。感謝します。」と言ってくれるのです。

 

実は

昨日、また母が居なくなってしまって、捜索願を出して一晩中探しまわっていたのですが・・・。

今朝、倒れていたところを見つけて頂き、病院に搬送されました。

心がつぶれそうなくらいの心配と、一晩中探し回った疲労から、必死に母にかけよる私たちに、母は笑顔で・・・「こんなに優しくしてもらって嬉しいわ。ありがとう。」と言うのです。

 

私たちこそ感謝です。

アルツハイマーという脳の病気になったおかげで、母の根っこの部分がこんなにも明るく温かいということを毎日教えてもらえています。