「福の神」の裏側

gold crucifix   気学

東京でも人気のエリアの一つ、吉祥寺がありますが、その名と関連する吉祥天のお話です。1948年新潟県柏崎の日蓮宗僧侶の家に生まれた村山幸徳先生は仏教にも大変お詳しく、気学講座の中で仏教のお話もしてくださり、心に残るお話です。

仏教の経典、涅槃経の教えの中のエピソード。ご存知の方もいらっしゃると思います。

ある家の主人が、家に「福の神」が来るように祈っていました。するとある晩、玄関をノックする音が。とても豪華な身なりの気品ある美しい女性が現れました。その女性は、「私は吉祥天、福の神です。福徳を授けに来ました。」と告げます。主は女神の来訪をとても喜び、「どうぞ、どうぞ。さあ、家にお入りください!」と招き入れます。

すると、その女性の背後に、もう一人の女性がいるのに気づきました。その女性は見るからにみすぼらしく、醜い風貌です。「お前は誰だ?」と尋ねると、もう一人の女性は「私は黒闇天です。災厄を授けにやってきました。」と告げました。

災いごとや不幸が家の中に入ってきては困ると、「お前は出ていけ!」と、主は怒鳴りました。すると、その黒闇天は大声で笑い、「私たち姉妹はいつも一緒。私を追い出せば、吉祥天も追い出すことになるのです。」と言い放ち、吉祥天と黒闇天は去っていきました。

このお話は、吉祥天(福の神)と、黒闇天(貧乏神)のお話です。二人は一体。光と影、気学でいうところの陰と陽。どちらかだけを取り払い、どちらかだけを取り入れようとするのは不可能だということです。

生まれたら、いつかは死ぬ。それは一対の光と影。

しかし、これは有難いお話だと、真に思います。光が良くて、影が悪いのではありません。人は誰しも幸福を望みますが、一見、不幸に見える出来事の中に深い深い学びがあります。不幸なんか、災いなんか、と思うけれど、それに立ち向かっている中で見えてくるものがあります。以前は見えなかったものが。

そして段々と幅が広がるというか、苦難を通して強くなっていく時、生きる喜びを感じる感度も強くなり、幸せ感(幸せ観)が上がっていくことを感じます。受験で第一志望に落ちたことで、止む無く入学した大学で思わぬ出会いが待っていたり。障害を持つ子どもを授かったことで、それまでの自分が体験しえなかった可能性の世界に触れたり。

愛する人に出会うことは、その分、その愛する人との間に多くの苦難や悲しみもあるということ。それを引き受ける覚悟で、愛する人と暮らすことを選ぶことが結婚なのではないかと思います。

「闇(病み)を光に変える力」を持つことが、学びなのではないかと思います。気学でいう、陰と陽。両方受け取ることがこの世の智慧だということです。

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