苦しみはどこからやってくるのか?
今日は心の話です。人は人生の中で、悩みや苦しみに出会います。時にはその苦しさに翻弄されて、心の全てが疲弊してしまうこともあります。それだけではなく、苦しみから逃れられず身体さえも壊れてしまうことがあります。みなさんはそのような経験ありますか?
私も若い頃、そんな経験がありました。私は八白土星なので、どんなことも目標を持ちたがります。悩みや苦しみに出会った時でさえ、どうしたらこの壁を乗り越えられるのだろう?と、新しい挑戦としてその悩みや苦しみを捉え、解決の為の努力をし続けました。いつも地道だけれど努力をして、前向きなエネルギーで生きてきたように思います。それでも、何年、どれだけ努力しても、その壁は乗り越えられず、苦しみは心と身体を痛めつけていきました。病気になったのです。
私の場合、甲状腺機能亢進症という病気になりました。自分ではどうにも自分の身体をコントロールできなくなり、手は始終震え、前向きな気持ちで食事を摂ってもすぐに下痢をしてしまう。体重は落ち、夜は眠れない。微熱が続き、正常な生活はもはや出来なくなったのです。

寺カフェ
こんなにも前向きな自分の心も身体も壊してしまうほどの苦しみはどこからやってくるのか?それは苦しみを持ってくる相手、起こる事象が原因なのでしょうか?自分の努力が足りないのでしょうか?疫病神に身体を乗っ取られたように、私は自分のコントロールを失いました。それとも相手が疫病神なのか?とさえ考えることもありました。
そんな時に1人で訪れた、都会の真ん中にあった寺カフェ。静かな空間を想像していましたが、そこでは、意外にも結婚式後の御一行様がパーティをしていたのです。「これが都会の寺カフェ?」と不審に思う中、馬鹿騒ぎをしている傍らの席で、私はまずメニューの中から、「お茶と写経」というものを注文しました。運ばれてきたのは一杯のお茶と、筆と写経紙。私はひたすら写経をしました。下品な言葉で騒ぐ声を聴きながら、何とも言えないアンバランスな光景の中、私はただ、ただ、写経に集中しました。

写経が終わると一人の尼僧が現れて、私の近くにいらっしゃいました。「お悩みがありますか?」というような目で私の顔を覗かれたので、私は短い言葉で悩みを打ち明けました。するとその尼僧は一言こう答えました。「人は相手に期待してしまう生き物です。そこに苦しみが生まれます。それが仏教の始まりなのです。」
私は、この言葉を心にしまい、自分の書した写経を手に帰途に着きました。それから尼僧に頂いた言葉をメモに書き、何年も毎年新しくする手帳に挟み続けています。
「人は相手に期待してしまう生き物です。そこに苦しみが生まれます。それが仏教の始まりなのです。」・・・ということは、苦しみとは、外側からやってくるものではないということ。私たちが内側で作り出しているということです。相手にこうあって欲しい、人はこうあるべきだ、なぜ伝わらないのか、・・・と思っているのは、私たちの内側の内眼と感性なのです。
自分の内側で、相手や外側の環境に期待してしまうことが、そうならない現象と一致せずそこに苦しみを作ってしまっているのです。これはもう何年も前に得た気づきで、今は穏やかな内側を生きることが出来ていますが、この世で生きる以上、かけらもなく捨て去ることは出来ない煩悩、それは誰にもついてまわるようです。無いものに期待して自分を苦しめるより、今手にしている有難いものに目を向け感謝をして生きること。それが苦しみを作り出さない方法です。
あの時の寺カフェのメモは、今年の手帳にも挟んであります。これは必要な人には有難い処方箋です。

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